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『孫子の兵法』(3)

孫子曰く
「私」の兵法を豊かに開発し続けよ

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4. よく引かれている『孫子の兵法』をピックアップ

「誤読こそ私自身である」とはいえ、転倒するほど誤読すると、孫子を食い散らかし消費するだけでもったいないので、よく引かれている『孫子の兵法』から、2つピックアップします。

4-1 兵は詭道なり

最も有名なのは、これでしょう「兵は詭道なり」孫子を悪く思われないように、多くの研究者や翻訳者らが、苦心して解説する箇所です。「ズル賢く敵を騙すなんて人間性が卑しい」という、我々の正義の共通認識に配慮して、あれやこれやと言葉を尽くすわけですが、そういうことは、しなくていいのです。もしも言葉自体にこだわるならば、中国語「詭」には、「奇妙」「異常」の他に、「逆説的=一見矛盾しているようで実は真理を含んでいる」という意味があるようです。日本語の「騙す」という意味だけで平坦に解釈するのが間違いの始まりです。

そして、戦略(全体)→戦術(細部)の順で見ても、孫子を擁護する必要がないです。

この場合だと
戦略:能動的に「私」の兵法を開発し続けよ
戦術:兵は詭道なり

ズル賢く敵を騙すことが目的ではなく、実践者自身が兵法の真義を傍らに、自ら考え続けてください、が本線です。

さらに分解してみます。
たとえば企業活動MVVを三角形で見た場合。

MVV(ミッション・ビジョン・バリュー)

  • 上段:Mission(使命)能動的に「私」の兵法を開発し続ける場の提供
  • 中段:Vision(目指す姿)敵をコントロールし低コストで優位に戦うことを目指す
  • 下段:Values(価値観や行動指針)兵は詭道なり

必ず下位は上位に準じています。

「兵は詭道なり」なぜ?それは「敵をコントロールし低コストで優位に戦うことを目指している」からです。どうしてそれを目指している(目指すことができる)のか?「能動的に「私」の兵法を開発し続ける」ことができるからです。

逆に言えば「能動的に「私」の兵法を開発し続ける」ことができないならば「敵をコントロールし低コストで優位に戦うこと」も難しくなるだろうし、ましてや「兵は詭道なり」と念仏を唱えても、敵は都合よく動いてくれないでしょう。

言葉自体(細部)で解釈すると、こういった分解ができないので、その言葉(ここでは「兵は詭道なり」)に振り回されてしまいます。

  • 「兵は詭道なり」NG→ズル賢い勝負はだめだ→孫子が言わんとする本線の見誤り
  • 「兵は詭道なり」Yes→そうか詭道か!→機能する戦略組みができない(=機能しない)

どちらも孫子ガッカリな案件です。

「いや理屈はともかく、騙して勝つのは良くない!」一般常識は強固なので、それでも納得できませんという方々のために、別の角度から。

先ほど紹介した「宋襄の仁」の襄公がよい例です。礼儀正しく当時の軍令に従うと、どうなるのかというと、敵味方どちらも損失が大きくなります。正面からガチンコでやるわけだから。将軍同士の1対1の決闘ならまだしも、敵味方どちらも兵士を伴っているわけで、兵士の人命を無駄に損失してしまうでしょう。したがって、礼儀正しい軍令とは、言葉はきれいなんですけど、実際は「自分は礼儀正しく戦った」という、将軍の自尊心を満たしているだけで、それに伴う兵士の犠牲の元に実現していることになります。

もう1つ。礼儀正しく正面からガチンコでやるという前提であれば、弱小国は強国には決して挑めないし、弱小国は永遠に強国の属国に甘んじていなければなりません。下克上を叩きつけることができません。しかし詭道でやるならば、弱小国にもチャンスがあります。もちろん、そのままやったら負け確定ですけど。だからここが活きてくるわけです「能動的に「私」の兵法を開発し続けよ」弱小国であっても、実践者自らが、勝てる戦略を作りなさいと。

「人の及ばざるに乗じて不虞(ふぐ)の道に由り、其の戒めざる所を攻むるなりと(九地篇三)」

敵の配備がまだ終わらない隙をついて思いがけない方法を使い、敵が警戒していない所を攻撃することである。

一例です。こういった「詭道のすすめ」孫子は繰り返し言及しています。正面からガチンコでやるなと言っています。それだと勝敗は、兵力の単純な四則計算にしかならないからです。強いものが常に勝って、弱いものが常に負け続けるだけで、兵法も何もない、何の工夫もない、こういう頭の悪いことは、やめてくださいということです。

注意点。
詭道であっても、たとえば敵の国民を蹂躙するような勝ち方をした場合、言うまでもなく、NGです。

がこれを、人として、いわゆる道徳/倫理として「蹂躙してはいけません」という、感情に訴える(感情を根拠にする)ズラし方は賢明ではないです。孫子の時代は元よりこれまで多くの戦争が行われてきましたけれども、たとえば国連であるとか、こういった機関を間に入れても(どれだけ正しくお説教しても)問題解決できるのかどうなのかは不明です。

道徳/倫理/感情という不確かなものをアテにしてなくても、そういったズラし方をしなくても、当事者の「利」に即して回答できるわけです。

今回の例だと、
中段:Vision(目指す姿)敵をコントロールし低コストで優位に戦うことを目指す

ここに抵触するので、NGです。※下位は上位に準じることを思い出して。

戦争に勝利しても、敵の国民に怨みを買っていると、その後、国を治めるのが難しくなるでしょう。また無駄に高コストになるわけです。国民を蹂躙しながら、同時に、自分の首を絞めているようなものなので、当事者からすれば、あきらかに賢い選択ではないです。

4-2 戦わずして勝つ

なので最善なのは、戦わずして勝つことなんですけど(敵味方どちらも損傷がない、もしくは少ない)言うは易く行うは難し、敵も自国の命運をかけ、全力で抵抗するだろうから、老獪な駆け引きができないと、絵空事で終わりそうです。孫子の生まれ育った斉国ではごく普通の日常なんでしょうけど。深く実践経験を積み、かなり頭が柔らかくないと実現できないのではないでしょうか。

他に、「戦わずして勝つ」

巷でよく見かける解釈は「孫子は平和(非戦闘)主義者だ」というものです。平和主義者の語義の解釈にもよりますけれども、辞書の解釈に従えば、古代中国の戦争を想定すると、かなり違和感があります。そんなに甘い世界ではなかったはず。

限りなく低コストで国をまわして行くには、自国/他国ともに、できるだけ損傷がないほうが良いわけだし、怨みなく健全運営したほうが望ましいわけでしょう。だから平和的に治めるというよりも、国を潰してはならない切実な責任感が、その根底にあると思われます。人として、どうあるべきか、と言ったような、いわゆる道徳ではなく、もっと切実に現実的に、低コストで健全運営しなければならないので、戦わずして勝つのが上策だと孫子は考えていたのではないでしょうか。

私の判断では、孫子は現実主義者です。

  • 平和主義者→全ての判断基準が「平和のために」
  • 現実主義者→全ての判断基準が「目標達成のために」

古代中国の厳しい現実の中で目標達成のためにやっていることが、ある人々にとっては、平和主義者に見える、ということなのだろうと想像します。

ではなぜ平和主義者、非戦闘的という解釈になったのでしょうか。ここを掘り下げてみます。

「当事者視点」と「観察者視点」の、2つで見た場合、孫子は平和主義者だと解釈される方々は「観察者視点」で見ているのではないかと思われます。

当事者視点と観察者視点の違い

この考え方は、他でも使えます。

ビジネスであれば「私はこれで成功しました」みたいな話を、皆さん喜んで聞いてしまうのですけれども「観察者視点」は「当事者視点」とは違う、というのと、当事者であっても、なぜ成功したのか実のところ本人も分からないことが多いのです。だからここで注意すべきことは、

  • 「当事者視点」と「観察者視点」は違う→「当事者視点」で分析する
  • 成功事例に再現性はなく当事者も真の理由は分からない→盲信しない参考程度に留める

※「当事者視点」で分析する、具体的にどうやるのか。イメージとしては青森のイタコのように頭を使い「私」を脇に置いて、あたかも「当事者」であるかのように想像、追体験します。なので「私」を脇に置けない人は、「私」以外を想像できないので(そんなこと出来るわけないと抵抗しながら)ちょっと難しいかもしれません。

5. 西洋での孫子の紹介

デレク・ユアンの説明では、以下のようになっています。

1772年
ジャン・ジョゼフ・マリ・アミオ(イエズス会神父)フランス語版パリで出版。北京で長年暮らした。

1905年
カルスロップ(英陸軍大尉)日本に語学留学生として滞在中に英訳。

1910年
ライオネル・ジャイルズ(大英博物館東洋部長で中国学者)この有名な訳が出るまで英語圏での孫子の名はほとんど知られていない。

その後、孫子を本気で理解しようと努力したのは、バジル・ヘンリー・リデルハートと、ジョン・ボイド。他に、ラルフ・D・ソーヤは英語圏で最も使われている訳書。正確さではなく訳が分かりやすいという理由で。トーマス・クリアリー、ロジャー・T・エイムス訳は前者よりも正確だが、哲学的に強調しているため読みにくい。

6. クラウゼヴィッツとの比較

孫子とクラウゼヴィッツどちらが優れているのか?
答えは「同一線上では比較できない」

『米陸軍戦略大学校テキスト 孫子とクラウゼヴィッツ』の本文から引きます。

「孫武が戦争について論じているその枠組みは、クラウゼヴィッツよりも広範囲にわたる。(…)これは、クラウゼヴィッツの論考のスタート・ラインが、既に外交交渉が失敗していることを前提にしているからである。(…)孫武が、もっとも高度な戦略レベルに視座を置いて論じているのに対し、クラウゼヴィッツはより下位の戦略レベル、作戦レベルに重点を置いて議論を展開している」

「クラウゼヴィッツが「戦略」として定義しているものは、今日でいうところの戦争の下位作戦レベルに応ずるものであることを考慮に入れるべきである。その一方で、孫武は、戦争のための政治的、外交的、ロジスティック的な準備を戦闘と一体に捉え、同じ活動のなかに元々包含されているパーツのようにみなしている。その結果、戦闘自体と武力戦が起き得る環境の二つに対して同じように関心を払い考察を深める構造になっている。一方、クラウゼヴィッツは、より制限した形式で戦争の定義を行っている」

孫子とクラウゼヴィッツは、立ち位置が異なるため、同一線上で単純比較できないわけです。そしてほとんどの議論は、この立ち位置の違いで説明できます。

イメージを確かにするために。
企業の経営組織図に置き換えると分かりやすいかもしれません。

孫子とクラウゼウィッツの立ち位置の違いを企業の経営組織図に置き換えてみる

職能別組織、マトリックス組織、プロジェクト組織、カンパニ制組織などなどたくさんありますけど、ここでは、一般的な事業部制組織で説明します。

※一定以上の規模の株式会社の場合は、社長の上に取締役会や監査役会が付いて、さらにその上に株主総会が置かれますので、ここでは除外します。

決裁権があるのは川の「上流」それ以下は決裁された物事に対して、こまごまとした決め事や、実際の企業活動を行います。

孫子は役員クラスの上流で、仮に「CSO」とすると、クラウゼヴィッツは「CSO」の下部組織の構成員になりますので、下流になります。誤解なきよう急いで付け加えると、孫子とクラウゼウィッツ双方の、能力について言っているわけではないです。立ち位置が異なることを可視化したいわけです。クラウゼヴィッツも、政治や交渉について言及していると言っても、それは下流から、上流を見て言っているので、決裁権のある上流に坐した孫子とは元から異なるということが分かると思います。

※素朴な疑問「クラウゼヴィッツも孫子と同じCSOだったら?」言うことが違っていると思います。彼の『戦争論』の中身が、まるっと別物になっている可能性があります。

決裁権の有る無しが、どのように影響するのかと言うと、孫子は開戦前からあらゆる手札を使うことができます。望めば政治レベルから、敵国や周辺国に仕込み放題です。ところがクラウゼヴィッツは決裁権のない下部組織の構成員なので、使える手札が限られているでしょう。その狭い範囲の中で、問題解決しなければならないわけです。なので政治や交渉について言及したとしても、決裁権がないので(想像で)言及しただけです。孫子のように、あらゆる手札を使って現実的に政治レベルに自ら影響を引き起こすことはできないし、その経験則を実際に重ねることもできないので、たとえば詭道について、クラウゼヴィッツはクエスチョンを投げかけていますけど、確かに、クラウゼヴィッツの立ち位置では、疑問でしかないと思います。

ただし、ここ2,3年の時事報を振り返ってみても、国家レベルでポケベルに爆弾を仕込んだり、政府高官をピンポイントで殺害したりと、謀報活動を日々緻密に行っていないと実行できない作戦計画ですから、クラウゼヴィッツがどのように想定し考えたとしても、謀報活動は(詭道の大小に関わらず)現在に至るまで、それは日常的に行われています。ちなみに、先に言及したように、利益相反の「害」を「害」として、こういった単純な外科手術を行うやり方は、孫子の主張とは異なるものです(目先で解決しているだけ。陰陽「1つの全体」で推し量れば、怨みを醸成し高コスト体質、自分の首を絞めるだけの、全く合理的ではない愚かな選択)。

『米陸軍戦略大学校テキスト 孫子とクラウゼヴィッツ』に、孫子とクラウゼヴィッツとの比較一覧が出されています。以下、抜き出します。上段「孫」が孫子、下段「ク」がクラウゼヴィッツです。

分析レベル
・すべてのレベル(政治、戦略、作戦、戦術レベル)
・主として下位の作戦レベル戦術レベル(戦場における戦術レベル)
インテリジェンス・情報とその運用に対する態度
・楽観的、積極的・信頼に足る情報は収集可能であり戦争に勝利する鍵
・悲観的、消極的・情報収集には障害が多く(摩擦が原因となり)、信頼に足る情報収集を行うことは不可能ではないにしても困難・情報が勝利に貢献する度合いは限定的なものであり、時には逆効果
合理的決断と予測可能性について
・信頼に足る情報に基づき合理的に見積もり計画を立てることは可能・予測ということは可能であり、慎重かつ周到に立てられた作戦は勝利への重要な鍵
・摩擦、不確実性、運などによる戦争の支配・合理的決断を実行すること、緻密な準備などはあくまで努力目標であり、全面依存は不可・予測についてはほとんど不可能
指揮と統制について
・困難であるが可能
・非常に困難でありほとんど不可能
欺瞞について
・戦争遂行上の基本・選択可能な武器としての地位を付与・勝利への鍵として位置づけ
・非重要なもので逆効果・賭けとしての最後の手段
戦争に勝利するための鍵としての情報について
・信頼に足る情報を収集するために最大限努力・周到な計画と広範な欺瞞の活用・防諜のため処置の実施
・最大限可能な兵力の配置と集中的運用・軍事的天才を有する指揮官の直観力に依存・主導権の確保と攻勢戦略の保持(敵にとっては不確実性を増し、情報収集に支障)
問題点
・情報と欺瞞に過度に依存することであり、万能薬としての位置づけを付与・計画の万全性と実施における過度の自信・事態や状況をコントールできることについて楽観的
・情報と欺瞞の可能性を無視・腕力(戦力)、即興性、 軍事的天才の直観力への過度な依存・事態や状況をコントロールできることについて悲観的

クラウゼヴィッツはおそらくこのままで良さそうなんですけど、孫子の項目は幾らか物言いがつきそうです(これまで長々と説明しました、、、)。

もう1回、任宏の兵法書を出します。

  • (A)権謀学派 政治を含めた総合戦略
  • (B)形勢学派 作戦と戦術
  • (C)陰陽学派 素朴な気象学や地理学/霊魂や畏怖の念など民族的な精神性
  • (D)技巧学派 軍事テクニックや技術

孫子は(A)権謀学派なので、以下全てを統合しています。作戦、戦術、情報、経済、戦略、政治まで。ところがクラウゼヴィッツは先の喩えだと、CSOの下部組織の構成員ですから、悲観的、懐疑的、または言及していない項目に関しては、それは他の部署が担当している項目だからです。我々の企業活動でも、たとえば営業部から制作部を見て「制作部の奴らフザケンナ」この逆パターンで「営業部は何も分かっていない」みたいな、こういった部門間での行き違い、なぜ行き違うのかというと、やったことがない(リアルにイメージできず考察を深められない)からです。制作部の人が営業部でともに汗をかけば、懐疑的な意見に留まっていられないでしょう。もう一歩も二歩も踏み込んで解像度を上げなければ、その部署では働けないのです。クラウゼヴィッツの立ち位置だと、他部署が専門にやっている項目が多過ぎるので、ゆえに悲観的、懐疑的、または言及していない項目の数が多いのは(クラウゼヴィッツの能力とは別に)当然だと言えます。

本文より。

「両者を読み進めていけば、多くの相違点が確かにある一方で、類似点・共通点、あるいは補完関係にあるポイントなども多く存在することも明らかである。孫武とクラウゼヴィッツが議論したならば、互いに一致せず不同意に至る主なポイントは「情報の価値」「欺瞞の効用効果」「奇襲攻撃の妥当性」「戦場での状況予測可能性とそのコントロール・統制」などに集約されることになるだろう」

孫子とクラウゼヴィッツ、実はそれほど違いはないと思います。それで情報、欺瞞、奇襲、等々は、意見の相違というよりも、立ち位置の違いです。

確認のため。孫子は上流の戦略レベルから介入できる立ち位置にいるので、戦争が始まる前から、これら全てを、プランニングできます。たとえば、先に出しました、

  • (1)世界情勢→広く情報収集し、政治から経済、人心まで傾向を読み取る。
  • (2)地域情勢→近隣国や予想される対象国のすべてに間者を置く。
  • (3)現場の情勢→情報正誤の確認のため斥候を放つ。

間者をどこに何人置いて、どのように情報を引っ張ってくるのか、敵国をコントロールするのか、孫子がプランニングできるわけです。もちろんそのプランは戦略に基づいて作られているわけですけど。ということは、間者を置くまえに、既に開戦前から、ある程度、戦略が出来上がっているということじゃないですか。しかしクラウゼヴィッツ は「(本文)論考のスタート・ラインが、既に外交交渉が失敗していることを前提にしている」わけなので、こういったプランニングは全く出来ない立ち位置にいるわけです。

孫子は何もせずに「うんできる!」と根拠なく、楽観的に主張しているわけではないです。開戦前から仕込みまくること前提の人ですから、既に勝っている状態で、既に負けている敵と戦うのが理想なのです。

というか、そもそも論として、抽象概念が入り込むのは上位戦略レベルであって、これを現実に落とし込む下位戦術レベルでは(上位戦略レベルに準じて)より具体的で明確な思考、言論、指示内容になっているはずです「(〜という戦略を元に)〜年月に〜地点において、プランXを実行せよ」という感じに。クラウゼヴィッツは上位戦略レベルが空席の状態で、下位戦術レベルで議論しています。

戦略と戦術の関係

それから、双方の違い、分業化が、まだ明確でなかった孫子の時代と、はっきりと役割分担が決められていたクラウゼヴィッツとの時代の違い。活動領域が厳密に限られているのかどうなのか、ということなんですけど。クラウゼヴィッツは立ち位置も役割も、孫子と比較して、どちらもキツキツな感じがします。

※曹操が『孫子』を編纂したことで質を高めることに成功し、このまま世に流布しても何ら問題ないけれども、クラウゼヴィッツは最終稿でないものを後世に伝えてしまっているので、クラウゼヴィッツ自身は、どのようにお考えなのか、、、。

他、構造の違いであるとか(クラウゼヴィッツは詰めて詰めて書くスタイル。鉄骨やセメントで空高く捻れた塔を建てるような構造。時のヤスリに削られやすい)様々に言いたいことがあるけれども、今回は孫子がメインなので、割愛します。

7. まとめ

最後に、まとめ的にクイズを出して終了します。

問1:

あなたは城主です。「敵が攻めて来ました!」そこへ軍師が現れます。

  • A軍師「過去の成功事例によれば〜」
  • B軍師「教科書的な定石では〜」
  • C軍師「いまできることを精一杯やりましょう」
  • D軍師「攻めるのは大変だから守りに徹しましょう」

あなたは何と答えますか?

問2:

あなたは将軍です。敵の補給基地を先に伐つ計画ですが、そこには民間人も居住しています。調べたところ、ロジスティックな理由だけでなく、人間の盾として、そこに民間人を住まわせていることが分かっています。どのように補給基地を伐ちますか?

問3:

あなたは戦争から戻ってきたばかりの将軍です。そして今度は、兵力では敵わない敵と、すぐに戦わなければなりません。資金も兵士も不足している現状で、君主から「行け!」と号令がかかっているさなかに、あなたは、まず最初に何をやりますか?

問4:

あなたは君主です。強国の建設のため大掛かりな土木工事を予定していますが、それには莫大な資金が必要です。

  • 提案1「税率を上げましょう」
  • 提案2「罪人にタダ働きをさせましょう」
  • 提案3「不要な部署や人材などこのさい切り捨てましょう」
  • 提案4「近隣諸国を騙して資金調達しましょう」

これら提案を受け、あなたは何と答えますか?

問5:

孫子は、既に勝っている状態で、既に負けている敵と戦うことを理想としています。あなたは現代の経営者です。市場において(または商圏内で)あなたの会社が有利な立場で企業活動を行うためには、具体的に、どのようなプランニングを実行しますか?

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